ヘッダー
トップページ>なつかしの風景



No2

1955年頃の座間味港の桟橋の様子です桟橋も車が2台やっと通れるぐらいの幅しかありませんでした。




1955年代頃の座間味港桟橋


<古里点描>
夏の夕方になると東側の海岸では、地元の子ども達は桟橋から飛び込みを楽しみながら、海水浴を楽しんでいた。そして大人たちは、思いのままの格好で夕涼みしながら、子どもたちの監視の役も果たしていた。 地域全体で子どもたちを育てていく様子が分かります。

【宮城恒彦(みやぎつねひこ)】
昭和8年(1993)年、沖縄県慶良間諸島の座間味島で7人兄弟の三男として生まれる。父は42歳で病気でこの世を去った。その時7歳だった。母は7人の子供たちを女手一つで子供たちを育てた。11歳の時に沖縄戦の米軍上陸第一歩の地、座間味島で戦争に遭う。その時姉を戦争で失う
現在は沖縄・豊見城市在住。座間味島での自分や島の人たちの体験を書き続けた座間味島の戦争体験記の小冊子は昭和63(1988)年より毎年発行し今年で21冊になる。2004年6月23日に毎年発行した小冊子をまとめた本「潮だまりの魚たち」 沖縄・座間味島の戦世 イクサユーを株式会社クリエイティブ21から出版する。
トップページ >なつかしの風景
フッター